蟲になりたい

ムシになったら

★『むしになりたい、虫になりたい、蟲になりたい、む死にたい、ムシニナリタイ...』
 ワタシも嫌なことあったら唱えようかな...


★大好きな楳図かずおのデビュー50周年(→UMEZZ.com: 楳図かずお情報サイト | 楳図かずお情報サイト)ということで『楳図かずお恐怖劇場』といものが上映。→http://www.umezu-movie.com/umezu_top.html

黒沢清も一作(『蟲たちの家』)監督しているということでこれは観ないわけにはいかぬだろう、

★ということで、早速ユーロスペースへ向かう。連日立見と聞いていたので早めに到着、ここの会員証を提示しチケット購入。


★オープニングは各作品とも同じ楳図顔どアップのクレジット。下からのライティングで顔を浮き上がらせるという演出のベタ感と、楳図さん定番の赤くて太い横縞ボーダーTシャツ(体の細い彼はこの横縞Tシャツを、(太ってみえ)ちょうどいいので好んで着ているそうだ)にうける。


★帰り際、女の子二人組が『”絶食”の方が(”蟲たちの家”より)怖かったよね〜!』と感想を述べ合っていたのが聞こえた。


nekowaniとしては正直どちらも怖くない。ただし最初から怖さを求めて観にいったわけではないので別段期待はずれでもない。(小さい頃から”このお話はフィクションです”といようなあとがきに心底恐怖を抱き、ドラマの最後はあとがきが出る前にあわててチャンネルを換えていたnekowaniは、逆にショック映像みたいなものに対する感覚が鈍いので、映像での刺激的な恐怖も特に期待しなかったのだ。)
でも、『絶食』に関しては映像の怖さといのは単に気持ち悪いだけで、それよりもその薄っぺらさがいかにも漫画のデフォルメ感の再現というかんじがして面白かった。もちろん、これまた結構ベタではあるがストーリー上の心理的な怖さというのもあると思うが。


★『蟲たちの家』は繰り返すようだが怖くない。黒沢清の映画はみんなそんな感じなので今更気にしないが。(ポルノ撮ってもエロくないし、ホラーとっても怖くない。そうやって微妙にずらし、”らしく”ないのが彼流な気がする。)
ただ、映画的演出のうまさは郡を抜いている。


★例えば喫茶店に座るレンジとオグリの二人を、長々とショーウィンド越しで撮っているシーン。ショーウィンドのガラスには道を歩く人々の姿が次々と、しかもわりとはっきり映しだされており、喫茶店の中の二人が覆われる。これも映画的な幽霊技法のひとつ。
影をうまく使ったり、建物の構造(一階、二階の階層、窓など)を物語に組み込んだりというような、基本的な映画文法をきっちり踏んでるのでそれだけですごいなぁと感心。


★『蟲たちの家』の不気味さの狙いは映像的なものにはあまりない。不気味とされる非日常的な映像はどれもオブジェでしかなく、そこにはあえてなんの深さも意味付けもなく、表面的だ。
『蟲たちの家』はあくまで”関係”の不気味さを追求する。
登場人物たちのおのおのの視点は誰ともあっていなく、そのずれの不気味さにホラー映画としての居場所をみいだしているのだ。


★妻が家を出ない、夫が家から出さない、妻が浮気している、していない、などをめぐって夫婦の解釈のずれを、映像で提示する。なんか『羅生門』っぽいと思ったのはnekowaniだけ?



★とにかくうまいなぁと。ただし、それだけ。というか、最近映画があまり面白くないのは気のせいで、単に良い映画を観てないだけかな。でも、「この映画(でなくてもなんでもいいが)うまいなぁ」と考えてしまう時点で、実はすでにそこにはなんの感動も新鮮さもなかったりする。うまい、とか、何かが分かって感心するだけで終わってしまうものなんて、単に自分の解釈で完結してしまうだけで終わりで、新しくともなんでもないので、実は観なくてもよい映画のような。前はもっと映画も衝撃的で、驚いてばかりいたのだけどな、最近映画も限界だな、と感じる。(自分のせいかな)


★なんか家でパソコンいじったり、東浩紀読んだりするほうがよっぽど衝撃的で面白いな、と思ってしまう今日この頃。