確実な環境設定を図りながらも賽の目は投げられる。

自由を考える―9・11以降の現代思想 (NHKブックス)
東浩紀大澤真幸の『自由を考える』(NHKブックス)読んだ。


現代思想が滅亡の危機にさらされていることはよく言われることだが、書店で思想の棚を受け持つ身の上としてはそれは実感としてある。もう化石化している。ものすごく売れない。来月で契約切れで会社辞める前に、思想の棚を廃絶、もしくはどこかの棚との合併すればと提案してみてもいいかも。


★思想的な論理全体、冷戦崩壊直前のポストモダン(後期資本主義社会)を最終目的(テロス)としていたのではないか、つまり、現代思想自体、冷戦までのくみ上げられたフィクションだったんだ、だから哲学はなくなりつつあるかも、とこの本が言っていた。


★で、現在はむきだしの生の世界らしい。超越的位相が社会秩序に組み込まれることが目指された時代はどこへ。


★だからここ十年位、活躍してきた言論人は、フィールドワークやカウンセリングの言葉を持つ社会学者や心理学者であり、「第三の審級」(ここではおそらく思想哲学者等のことの意に使われている)の言葉の力は失効しているとなんとなく苦々しく語る大澤さん。(宮台真司とか斎藤環とかあんまり好きじゃないのかな。)


島宇宙化する社会、共感や想像力が欠如せざるえない今、誤配可能性を育てること、偶有性にある普遍性をひとつの通路として機能させることがひとつの手立てになるのでは、と模索。そのために大澤さんは概念の発明に拘りたいと表明していた。


★やっぱりサイコロかなぁ。