縮みゆく鰐

トーク・トゥ・ハー スタンダード・エディション [DVD]久しぶりの更新。日々蓄積する戯言の山を少しでも消化、しかし時間はあくまで小エネを求められている、やはりブラインドタッチの習得は急務である、というように今日もつれつれ日記をすなる。

ようやく『トーク・トゥ・ハー』を鑑賞。鑑賞後即刻カエターノ・ヴェローゾのCD借りにツタヤに走る。(ちなみヴェローゾが映画の中で歌っているのは『ブエノスアイレス』のサントラに入っている。導入は海鳴だ。また、すでにMDで持っている『フェリーニへのオマージュ』をMP3に落とすべく再びレンタル)

この映画では一方的に「彼女」に語る男二人、ベニグノとマルコが登場する。バレーの舞台で隣り合う二人はよくある分身の物語のように近似値に位置し合う*1
マルコの前を先走るベニグノはマザコンのひきこもり(?)、窓から「覗き見」によって愛の対象アリシアを発見し、意識不明の寝たきりとなった彼女を、「母の喪失」後の彼は「通信教育」で得たあらゆる知識を駆使して管理、所有するにいたる。彼は挿入されたサイレント映画『縮みゆく男』のように、愛する対象を「眺め」*2、その周辺を駆け巡る*3のだ。
ここではあたかも「子宮」というのが密室のメタファーであるかのように、必要なスキル(母を「手入れ」するためのスキル)のみを「通信教育」でとるなどして「母の部屋」に閉じこもるベニグノは、母の死後アリシア自体を閉じこもる「場」として発見し、目覚めぬ彼女に「宿る」ように侵略し、ついには子宮を目指し妊娠させてしまうのである。ただし、アリシアの目覚めとともに彼の部屋とそこでつくりあげられた世界は崩壊し、ベニグノ自身死に至る。

ちょっとぽっちゃりして目の真ん丸いベニグノに奇しくも東浩紀のフィルターがかけられ、何度か見紛うてしまうのを多少楽しみつつ、それらの余韻を引きずるべくカエターノ・ヴェローゾを流すヘッドフォンを耳にあて、斉藤環のひきこもりの本に再び転移するのであるが、そのひとりごちはまた次回へ続く。

*1:「看守に僕の恋人だと間違われたら嫌だろう?」「そんなことない、恋人だと言ってくれ」というような内容の遣り取りが交わされるほど、二人は密接に寄り添う。マルコが不在のベニグノの部屋に住み始めたり、ベニグノの愛するアリシアを彼と同じように再び窓から発見したり、バレーの舞台の会場でアリシアと偶然出会うなど、マルコがベニグノを後追いするような徴候もあり

*2:小さい男は対象の前に権力的な自己の像を見せることはない、あたかも遠くから眺めるような覗きに近い視線だ

*3:小さい男にとって愛する女の乳房は丘のように高いので昇ったり、膣はトンネルのように深いので、まるごと身をもぐらせたりしてみる