ダブ(エ)ストンの案内人

ダブ(エ)ストン街道 (講談社文庫)「これはまさに『存在論的、郵便的』を寓話にしたような小説になっていて(往時の高橋源一郎を思わせる)、たいへん興味をそそられた」(http://www.hajou.org/hajou/00/hajou00.txt)と語る東浩紀にソソられ、浅暮三文の『ダブ(エ)ストン街道』(講談社文庫)を読んだ。
だいたい書名に()が入っているところからしてすでにシュールではないだろうか。著者自身は(エ)を発音したほうが「伝わりやすい」と、声に出して書名を読み上げる機会を持ちえる書店員、読者に勧めている。それでは、当方としても是非(エ)を、「ブ」に延長する微振動ほどの心地で気楽に挟んで投函してみたい。

それにしてもダブ(エ)ストンでは郵便物がどうも曖昧にしか届かないようだ。なんせポストに手紙を投函してもそれが郵便配達人によって確実に回収されるかも怪しいし、届くのは果てしないほど先のことだったりする。海外郵便にいたっては空き瓶に入れて浜辺へ投げるだけなのだ。それでも、夢遊病によってダブ(エ)ストンに迷い込んだ恋人タニヤから手紙を受け取ることができたケンは、ポール・カーライル著『赤道大全』を手がかりに彼女を探しにゆけるのだ。しかし地図もなく郵便物も確実に届くとは分からないこのダブ(エ)ストンではすぐ迷いかねない。そもそも、国境の消えたダブ(エ)ストンでは誰もが迷っている。迷っているのか旅をしているのか分からないが、赤いポストやら赤い影やら赤い蝶帯、赤道祭やらアップルを探したり、手紙を書いたり墓のような岩にメッセージを残したり誰かに道を尋ねたりしているのだ。物忘れが激しすぎてついに真っ裸で旅するエディなんて、探している弟が見つかるのは、赤ん坊だった弟が結婚して所帯持ちになってしまうほど年月がたってからである。それでも、物忘れのせいでようやく見つけた弟さえも忘れ、再び旅に出てしまうのだから、すでに探す身振りそのものでしかない(いくら探して見つけてもその場で忘れてしまえば結局なにも残らず空白のままだ)。

各章が古典音楽のなにがしかから始められ、そこには絵つきのコラムが添えられてているこの小説は、まるごと象形文字のごとく謎だらけだ。かろうじて分かるのはケンが恋人のタニヤを見つけたいという強い意志が主張されているからであって、それがまさに「あっちじゃ」であるツバメのように→(矢印)を標榜してくれ、解釈を加えてくれるので、なんとか混乱におちいりきることはないのだ。
さぁ郵便物のゆくえを追ってさっそく「『ダブ(エ)ストン街道』はどこですか?」と書店員に尋ねにゆこう。