猫だろうが鰐だろうがビデオニュースドットコム

nekowani2005-03-09

今日ビデオニュースドットコムhttp://www.videonews.com/を初めて利用した。とにかく内容が濃い。「気鋭の社会学宮台真司と国際派ビデオジャーナリスト神保哲生が毎週のニュースを一刀両断!」というやや歯の浮き気味のキャッチコピーのついた「マル激トークバトル」は特に面白そうだ。ただし一つのトークにつき二時間の長丁場!映画一本観るのと同じ位の時間を費やさなければならないという制約があるので、そんなに一気にみれるものではない。よって対象は必然的に自分の興味のあるものからということで見方が偏りがちになりそうな懸念。広範囲にわたって手早くテーマをチェックしてゆくことは難しい。

それでもその分、各回が突っ込んだ内容になる。nekowaniが今日みたのは東浩紀ゲスト『監視社会とどう付き合うか』と斎藤環ゲスト『集団自殺や引きこもりの根底にある「心の闇」とは何なのか』であったが、非常に刺激的な面白い内容。宮台真司にしても東浩紀にしても斎藤環にしても書籍以外の映像では(ましてや動画では)ほとんどみたことがなかったが(ただし、彼らはこの業界の人としてはメディアへの露出度が比較的高い方だと思われる)、新鮮だった。今更ながらあらためてネットの活用の可能性に感心する(なんだか最近ネットで、浦島太郎的経験をすることが多い。今回も一時間前が三十年前くらい前までレトロ化されてゆくような思いに至る…)。

<監視社会>については、最近、小林薫事件などの幼児性犯罪などをきっかけに、性犯罪者の個人情報を公開しようという動きが出てきて大きな関心を集めているようだ(nekowaniの監視社会への興味は、阿部和重の小説を読んだ影響が強いのだが。それにしてもセンセーショナルな幼児性犯罪事件の元祖は当方にとって宮崎勤事件だ。当時被害者の女の子と同世代だったnekowaniは「おたく」という鮮烈なイメージもこの時植えつけられた。)。宮台は「例えばネットでコミュニケーションをする際、オフ時の相手への想像力(つまり履歴から相手の全体像を把握する力)が必要」という(例えば、想像力が低いと振り込め詐欺にあいますよ、というような警告)。また、彼は手放しに動物化動物化:他者関係にコントロールされないあり方)するのでなく、一定の地平を設けること(ある程度、他者の目を意識すること)でまともな社会のコミュニケーションをしよう、と主張する。一方、東浩紀動物化は止まらないものだし(閉じこもることを可能にしてきたもの、例えばコンビニやデニーズを全国から撤退させることはできない)、他者性がなくとも成立する多様性を受け入れる社会のあり方を模索する必要があるという。それは例えば「環境管理」というシステムを社会が持つことだと語る。
簡単にまとめると、宮台は「地平設定すべき、手放しの動物化は否定」、東は「多様性を否定するような地平の設定は通用しない、動物化は終わらない」というようなことを言っていたような気がする。

<ひきこもり>に関しては、世代的に自分等にもつながる身近な問題あり、また、現在孫借りで手にしたひきこもりの本を面白く読んでいる最中でもあるので、斎藤環トークも興味深く聞いた。
斎藤環の発言の中で「東浩紀が、<ひきこもり>を動物化できなかった人たちですねと言っていたが、彼らは十全なコミュニケーションを求めているが故に絶望した人である」というようなことを語っていたのが印象的だった。また、宮台が「ノイズ」概念を出し、ひきこもりの要因の一つに「ノイズ体制の社会(例えば、会話なしでお金のやりとりのみ―ノイズが除去された―のコンビニ社会ではなく、店主と客がお金のやりとりのみでなく、会話のやりとりも行う―ノイズ的−商店社会)の低下」も指摘していた。
トーク中、何度か宮台が焦点をあわせようとした、精神医療の科学的な見方(薬物療法)と社会学的(もしくは文脈的)な見方(関係性の治療)について、もっと話を聞きたかったが、真ん中に坐る神保氏がそれを中断し、既に話した内容を何度も重複し、しかも愚問ばかり投げかけることで(漢字位、後で自分で調べてください、と思い、泣きたくなる)トークの効率化は著しく低められ、なんとなく消化不良気味で終わってしまった感が心残りだった。