nekowani2005-05-12

★しばらく書店で働いているのだが、内に入って見えることがいくつかある。

★たとえば、書店員の作業の多くは選別、分類である。補充と新刊併せて毎日大量の本の分類をこなさなければならず、ひたすら整理整頓を繰り返す。そんなおり、当然仕分けに困る雑種本が出現する。いくつかの分野にまたがるようなこのような本は大抵どの棚でも疎まれ、担当者同士での押し付け合いになる。

★雑種本の多くは、テーマと方法の分野が異なっている。例えばテーマが「犯罪」の場合、大抵社会学に行くのだが、視点が法学的であったり、心理学的だったりすると、同じテーマでもどこの学問の棚に置くのかが問題になる。このような問題が生じた時、上司に尋ねるとひたすらまとめろという。どんなに棚になじまなくとも暴力的に振り分けることを強いる彼らは分類の基準となる考えをほとんど持っていない様子。上司云々というより、nekowaniの勤務する書店自体に分類の基準がなく、かなりの書籍がごったがえしている。売れる本ばかりを大々的に宣伝し、そのおかげで広告の暖簾ばかりが空調の風にたなびく様子がやけに空しい体裁の中身はカオスだ。広告に工夫をこらす前に、もっと店内の構造的なこと、基本的な分類基準について、もっとしっかり検討した方が良いのでは?

デリダの新刊を外国文学で発見。よくみると何点もの哲学書が外国文学に配置されている。確かに題名だけみれば文学的なのかもしれないが…
驚く人文科学担当のnekowaniは、それらを思想の棚へと奪還すべく、即刻外国文学担当者に直訴へとむかう。
ただし、ここはデリダが死んだって何の反応もない客層を多く抱えた書店なのであって、デリダが外国文学にあろうが学習参考書にあろうが誰も何も関係ないに違いない。そもそもデリダ本がなくたって痛くも痒くもないだろう…nekowaniだって別にデリダを庇護する義理はないが、ここまで人々に無化されつつあると、自分が、という例の過剰な自意識を発動させてしまう。

★送料無料でネットで本が買える今、迷える程の敷地面積と大量の在庫数を確保した書店しか生き残れなくなっている。実際nekowaniの勤める書店がある地域も小中型書店が次々とつぶれている。オンラインショップに対抗する書店の強みとして、CDショップにしても同様だと思うが、中身を物色できるという利点があり、となれば物色できるだけの豊富な在庫数が必要なのだ。始めから購入するものが決まっている客は何もわざわざ書店に足を運ばなくともアマゾンなどで送料無料で本が買えるのだし。よって専門書店以外の小中型の書店の存在意義がどんどん薄れているのは確かだ。

★ところでオンラインショップで物を購入する時、実際物を見れないので価格comやブログなどの口コミ情報というのが非常に役立っている。ただし、口コミ情報はひとつひとつの信頼性に疑いがあるの多く集めないといけないのがしんどい。

★書店に限らず、どの小売店も形態がどんどん変わっていくんだろうな。